【映画】『その土曜日、7時58分』

[★★★★☆]
この世は醜い世界だぜ。

あらすじ:
兄アンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)と弟ハンク(イーサン・ホーク)のハンソン兄弟は、状況こそ違うが、どちらも大金を必要としていた。そんな時、アンディはハンクを実家の宝石店を襲い強盗する計画を持ちかける。その計画は上手くいくように思えたが、ある誤算が生じて…。

映画情報:
原題:Before the Devil Knows You're Dead
監督:シドニー・ルメット
脚本:ケリー・マスターソン
製作総指揮:ベル・アベリー
撮影:ロン・フォーチュナト
音楽:カーター・バーウェル
製作国:2007年アメリカ・イギリス合作映画
上映時間:1時間57分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
キャスト:フィリップ・シーモア・ホフマンイーサン・ホークマリサ・トメイアルバート・フィニーローズマリー・ハリス、アレクサ・パラディノ、マイケル・シャノンエイミー・ライアン、ブライアン・F・オバーン

感想:

シドニー・ルメットといえば、「十二人の怒れる男」「セルピコ」「狼たちの午後」などで知られる名匠である。今までに多くの作品を監督してきた彼だが、90年代に入ってからはあまり評判がよくなかったようだ。そんな彼が御年84歳にして撮りあげたのが、この「その土曜日、7時58分」だ。結論から言えば、この作品はすでに書いた三本同様、彼の代表作となるだろう。それほど素晴らしい作品であり、傑作だった。また、彼は2011年4月9日にリンパ腫で亡くなったため、この作品がシドニー・ルメットの遺作ともなっている。素晴らしい作品だっただけに、次回作が永遠に観られないので残念でならない。合掌。

フィリップ・シーモア・ホフマンイーサン・ホークも素晴らしい演技だったし、なんといってもアルバート・フィニーの今作での演技は一生忘れることのできないほどの強烈な印象を与えた。名匠と名優の見事な化学反応がこの作品は起きている。そして、そういう作品こそ傑作と呼ばれるにふさわしい。

一つの犯罪に端を発した、ある家族の崩壊は痛々しく、全体のトーンも重厚で、決して気軽に見られるタイプの映画ではない。しかし、時間軸をずらす脚本により、徐々に観客に真実を明らかにすると同時に、それぞれのキャラクターの背負う「業」を伝えていく演出は流石というほかなく、観終わった後の充実感は久々に感じるものだった。84歳にしてこんな内容の、そしてこれほど素晴らしい映画を作ることができる。20代の私にとってそれは、羨望というよりも畏怖の気持ちに近い。

小太りのフィリップ・シーモア・ホフマンが「立ちバック」する姿から始まるこの映画には、老齢さは一切なく、人間というモノを徹底的に見つめるシニカルな視線だけがある。序盤のこのシーンが18禁になっている理由のようだが、ルメット爺さんからすれば「つかみはOKだろ?」ということなのだろう。

邦題は「その土曜日、7時58分」だが、原題は「Before the Devil Knows You're Dead 」となっている。タイトルではその前にもう一文ついて、

「早く天国に着きますように。死んだことが悪魔に知られる前に」

という一文になっている。つまり、この映画に登場する人物は、天国に行く前に悪魔に見つかってしまうと地獄に行かなくてはならないほどの「罪人」だということだ。それが一体誰を意味するかは実際に見て確かめて欲しい。

これは「犯罪」の物語である。

これは「夫婦」の物語である。

これは「兄弟」の物語である。

これは「親子」の物語である。

そしてこれは、「家族」の物語である。

物語の発端は、兄であるアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、弟のハンク(イーサン・ホーク)に強盗計画を持ちかけるところから始まる。しかもその強盗の対象は、兄弟の両親が営む宝石店にしようということだった。強盗が入ったとしても保険が効くので両親に迷惑がかかることはない。警備の情報も筒抜けだ。その計画は易々と実行できる、はずだった。

しかし、計画と実行にはかなりの隔たりがある。まさにこれは「机上の空論」だったのだ。結果としてこの強盗計画は失敗してしまう。そして、もはや戻ることのできない大きな悲劇が起こってしまうのだ。この悲劇を契機として、アンディとハンクには不幸の輪廻ともいうべき連鎖が次々と起こっていく。

この作品の面白いところは、強盗事件から3日前、4日前のそれぞれの登場人物の行動があとから挿入され、つまり時間軸がばらばらに展開することで事件の真相が明らかになっていく。この手法はもはや目新しいものではないが、私が感心したのは、この手法がこれ見よがしに披露されるのではなく、あくまで映画上の演出として必要であり、かつ非常に有効に機能していることである。だから、この手法特有の混乱がこの映画にはまったくない。この辺りは一重に監督の力量によるものだろう。

他にも演出でよかったと思う場面が多くある。例えば、兄であるアンディが妻のジーナに出ていかれ、怒りを顕わにする場面。普通ならばここは、家にある様々な物をあたり構わずぶちまけるといった行動を取るのかなと予想される。しかし、フィリップ・シーモア・ホフマンは瞬間的に怒りを発散することを拒否する。その代り、静かな、しかし突発的な怒り以上の怒りを秘めながら、静かに物を床にまき散らかしていくのだ。この場面は本当に恐ろしかった。

笑った場面もある。逃走中のアンディとハンクが、クスリの売人であるゲイらしき男の高級マンションを訪れる場面である。アンディとその男が肉体関係があったかは明確にされないが、アンディは突然訪れた売人の部屋のベッドで、小太りの男が眠っているのを発見して怒りを顕わにする。(つまりこの売人はただのデブ専だったのだ!)

時間軸がバラバラのシーンで描かれるのは、一つの強盗事件を超えた、ハンソン家族そのものが背負う闇である。兄アンディは、弟ばかり愛する父を憎み、クスリに溺れ、金を横領し、妻とは上手くいっていない。弟ハンクは、離婚した妻に子供の慰謝料を支払うために困窮している。そんな二人が非現実的な強盗事件を計画し、そして失敗し、「悪魔に見つからないように」逃げ回る姿をカメラは執拗にとらえ続ける。

果たして彼らは「悪魔」から逃れることは出来るのだろうか。それとも、一度背負った罪から人間は逃れることはできないのか。答えは最後の最後までわからない。

そして最後、私は「悪魔」を見た。ここまで鬼気迫った、悪魔のような表情を見たことがない。アンディとハンクは疑うべくもなく罪深き人間たちであるが、この人物もまた、業を背負った罪深き人間なのだ。そして最後、この人物は逃げ回るべき存在である「悪魔」そのものに変容してしまう。

彼が最後に歩んでいく「光」の先には何があるのか。……悪魔が帰っていくのは当然、地獄でしかないだろう。