【映画】イカとクジラ

[★★★★☆]
家族という呪い。

あらすじ:
ライフ・アクアティック」の脚本家ノア・バームバックが、86年のニューヨーク・ブルックリンを舞台に、ある家族の崩壊を滑稽に描いた自伝的悲喜劇。落 ち目のインテリ作家である父親バーナードと「ニューヨーカー」誌で作家デビューを飾ることになっている母親ジョーンの間に生まれた16歳の兄ウォルト、 12歳の弟フランクは、ある日両親から離婚することを告げられる。ウォルトは父親に、フランクは母親についていくが、2人とも学校で問題を起こすようにな る……。(映画.comより)

映画情報:
キャスト:ジェフ・ダニエルズローラ・リニージェシー・アイゼンバーグオーウェン・クライン、アンナ・パキン、ウィリアム・ボールドウィン
監督・脚本:ノア・バームバック
製作:ウェス・アンダーソン
撮影:ロバート・イェーマン
音楽:ディーン・ウェアハム、ブリッタ・フィリップス
原題:The Squid and The Whale
製作国:2005年アメリカ映画
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
上映時間:81分

感想:

人は自分の生まれる場所や環境を選ぶことはできない。その意味で、家族とは人が生まれた瞬間にかけられる「呪い」のようなものだ。この映画の主人公であるウォルト(ジェシー・アイゼンバーグ)とフランク(オーウェン・クライン)の兄弟も、家族という「呪い」にかけられたごくごく普通の少年たちである。

彼らの両親はともに文筆業を職業としているのだが、父親のバーナード(ジェフ・ダニエルズ)は売れない作家であり、現在は大学で教鞭をとって食い扶持を繋いでいる。一方、母親のジョーン(ローラ・リニー)は雑誌「ニューヨーカー」で作家デビューを飾ることが決まるなど、そのキャリアは対照的なものになっていく。そんな中、突然家族会議が招集され、ウォルトとフランクの兄弟は両親から予想しない発表を聞く。

「私たちは離婚する。」

家族とは、血のつながりがあるとはいえ個人同士の集合体だ。普段の生活ではそれは強固なものに見えるかもしれないが、ちょっとした傷や歪みで簡単に崩壊してしまう可能性を孕んだものである。また、あらゆる家族がそうした傷や歪みを知らぬ間に内包している。それが果たして離婚にまで至るかどうかは、その傷や歪みを自覚したままそれでもなお家族という形に固執するか、あるいは、傷や歪みを消し去るために家族という形を捨て去るかという夫婦の選択にかかっている。この映画におけるウォルト兄弟の両親は、後者を選択した。

家族よりも自分たち個人の意思を優先するのは、この両親が自分たちがインテリであり知識階級であると自覚してるからこその判断なのではないかと私は感じた。離婚の相談において、子供たちと会える日を事務的に決めていくその会話からもそれが見て取れる。この両親は「離婚」という家族にとっての大問題を、あくまで理屈で解決し処理できると思い込んでいるのだ。しかし、結婚という「契約」は事務処理によって片付けられようとも、人間のこころというものはそれほど単純なものではない。

ましてや、彼ら両親の離婚に巻き込まれるのは、16歳のウォルトと12歳のフランクという、もっとも過敏な年頃の少年たちなのである。彼らは両親の離婚という現実と、また、その奥にある原因に過剰に影響され、客観的にみると間違えた、おかしな方向に進んでいってしまう。その危うさはこの映画にある種の恐怖映画の様相さえ与えているのではないだろうか。ホラー小説の帝王スティーブン・キングが「これは恐ろしい映画である。」と書いたのも納得できる。

子供から大人になるということは、そうした家族という「呪い」を受け入れるか、あるいは解き放たれるかのどちらかを達した時である。この映画の主人公であるウォルト青年はまさにその呪いを解かんともがき苦しみ、最終的に自分の深層心理を映し出すある「もの」と対峙する。それは傍からみればどうということのない光景なのだが、彼にとってはその瞬間こそが人生が変わる転機なのである。本当に素晴らしいラストだったと思う。

作品内において「野生の少年」や「勝手にしやがれ」などの映画が言及されるように、この映画はいわゆるハリウッド映画というよりは、ヌーベルバーグの作品に近い。どこに着地するかわからない物語やジャンプカットなどにそれが見て取れる。なので、起承転結や結末がはっきりしたものを期待している人には肩すかしかもしれない。

余談。この映画で描かれる家族の中でも、一層際立っているのがローラ・リニー演じる母親の存在である。「普通の人々」や「レイチェルの結婚」を見ていても思ったのだが、こうした家族を描いた作品では、母親というものがとかく得体の知れないものとして描かれる傾向にある気がする。これらの作品がすべて男性監督のものであるからかもしれないが、男性である私から見ても、母親、あるいは女性とは得体の知れないものであり、そこがまた面白いと思った。